(アイキャッチはカギロイの改装前)
先日、「喫茶室から考えるコミュニティ論」というオンラインイベントに参加してきた。実際に喫茶店やコワーキングスペースの運営者、そして過去に喫茶店の空間デザインを手がけた設計士の立場から三者三様の話が聞けて、とても楽しく有意義な時間だった。
喫茶室から考えるコミュニティ論はコミュニティを生み育てる、土壌としての喫茶室のあり方を考えるディスカッショントークイベントです。
イベントの終盤で参加者から
「知らない町のカフェなどは、なんとなく入りにくい」という声があり、それに返答する形で運営者やデザイナーから「コミュニティに参加したい人がカフェにやってくるようにするためには、建築的に入りやすいデザインにする必要がある」という話があった。ガラスで外から中が見えて、中で何をやっているかを見えるようにする、といったようなこと。
このとき僕の頭に浮かんだのは、「僕は今のサロンを作るときにまったく逆のことを考えていたなぁ」ということだった。(実際のところ、初見の方の多数は分かりづらいと言われている)
つまり、「どうやって分かりづらい店にするか」を考えたのだ。



(運営するヘアサロンと酵素風呂サロン。酵素風呂の方は本当にたどり着けない方が多すぎてさすがに看板をつけました・・)
たとえば、お店の場所はよくある路面店ではなく路地裏で、全面をカーテンや植物で覆い、中が見えない設計してもらったり、見えやすい看板を付けなかったりと、分かりづらく入りにくい工夫をしたのだ。
それはなぜか?
僕が世界一気に入っていて、居心地のいい下北沢の「カフェトロワシャンブル」はとても入りにくかった店舗(古いビルの2階の一室)で、その経験から、「入りにくい」「分かりづらい」ということは、外から隔離されているということで、その分、中に入ると居心地が良いと思うからだった。
お客さまにとっても、僕たちにとっても。その「入りにくさ」「分かりづらさ」から来る居心地のよさを経験すると路面店へ出店する理由は見つからないし、ましてや居心地の良さを失いたくなかった。
「入りにくさ」「分かりづらさ」が作るある種の「密閉感」が店内のコミュニケーションを活発にしてくれる。そして、僕たちとお客さまの、あるいはお客さま同士のコミュニケーションは、「髪を切る」「ヘアデザインを楽しむ」「酵素温浴、お顔そり」という行為をより充実したものにしてくれると感じている。
僕はお店をするうえで、お客さまにとって「お店にいる時間」や「サービスを体感するという行為」ができるだけ楽しいもの、心地よいものであってほしいと思っている。そしてそのためにはある程度の「入りにくさ」「分かりづらさ」が大切だと考えている。
それは、「来ないでほしい」のではなくて、分かりづらいところに「来てほしい」のだ。
この感覚は、イベントの主催者である方がその大切さを強調していた(僕は強く共感した)、京都の「いけず文化」とも共通するものだと思う。イベントのあと、個人的にやり取りするなかで次のようにおっしゃっていた。
京都はある意味閉鎖的な街でもある、だからこそ、良い意味での閉鎖感が街を守り積み重ねた何かを作り出す京都には「いけず」 がなければなりません。この「いけず」こそ壊されない為のバリアであり、次の一歩を大切に作る為のコミュニケーションだと思う。
お客さまから「このお店は分かりづらいんだよね」と度々言われる。そんなとき僕は「そうですよね~」と答えながら、内心では「うまくいっているな」と思う。
「あなたのお店は分かりづらいんだよね」と言ったその人が、いつかバリアを超えてお店に入ってきてくれることを願っている。
”入ってきてくれたならば、心地よい楽しい時間が待っています”
そんなお店作りもあっていいじゃない。
僕はサロンを運営するうえでコミュニティには興味がないけれど、来てくれた方がお店にいる時間もサービスを体感する時間もできるだけ心地よいものであってほしいと思っているので、そのために「分かりづらさ」「入りにくさ」を大切にしてる。
それは、「来ないでほしい」のではなくて、分かりづらい、入りにくいところに「来てほしい」のです。
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